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ザルツブルク待降節音楽祭

Residenzplatz 9
5020 Salzburg
+43662 843182
+43662 844110-33

2016年11月25日から12月11日まで

約200人の音楽祭の協力者達は、この行事がクリスマス前のザルツブルクには無くてはならない、観想的で忘れ得ないものとして評価を得られるよう、毎年、ザルツブルク音楽祭大ホールの表舞台や裏舞台で働いています。
待降節の期間中、国の内外から毎年約3万6000人の人々が、世界的に有名になったこの行事を、身近に共に味わう為にザルツブルクを訪れます。

ザルツブルク待降節音楽祭の歴史
音楽家であり歌手、そしてこの地方の世話役でもあったトビー・ライザーが、1946年12月に初めて、友人や知人たちを集め、歌や合奏の合同演奏会を行いました。約40人が暖房のない部屋に集まり、歌や演奏に耳を傾けました。
聴衆の数は急速に増え、1950年には宮殿の皇帝の間で、初めて一般に公開されました。1952年にこの音楽祭は開催場所が移され、大学のアオラ講堂で行われるようになりました。
ザルツブルクの有名な詩人、カール・ハインリッヒ・ヴァッガールも長年にわたり明るく観想的な詩の朗読で聴衆を魅了しました。
ザルツブルク風の、あるいはバイエルン風の音楽家、歌手、俳優たちのユニークな催し物が、年ごとに訪問者を魅了しました。1960年、これは遂に音楽祭大ホールでの行事となりました。遅くともこの時以来、ザルツブルク待降節音楽祭は、国際的な重要な行事となりました。

変遷の時
70年代の半ば、二人の創設者、トビー・ライザー一世とカール・ハインリッヒ・ヴァッガールが亡くなりました。新しい時代がトビアス・ライザー二世と共に始まり、彼は更なる発展に務めるとともに、伝統から時代精神への橋渡しを模索しました。
古典的でかつ現代的な舞台装置、印象深い照明演出、民族音楽的に新しく演出された楽曲、そして細部まで検討された台詞等で、ザルツブルク待降節音楽祭の新しい形が出来上がりました。

待降節音楽祭の今日
1999年、トビアス・ライザー二世の突然の死によって第三の時代が始まりました。
ハンス・ケールとシュテファン・シュペアが、主催者のザルツブルク・ハイマートヴェルク民芸店の理事として、また、長年にわたり道を共に歩んで来た者とし て全体の指揮をとりました。そうこうするうち、この音楽祭はアルプス地域に無数にある待降節音楽祭の大きな模範となりました。ザルツブルク待降節音楽祭は 2006年に創立60周年を祝いました。

 

 

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