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ヘルブルン宮殿と噴水仕掛け

Fürstenweg 37
5020 Salzburg
0043662 820372-0
0043662 820372-493
1612年ザルツブルクの大司教、兼領主になったホーエネムス出身のマルクス・シチクスは、就任後数ヶ月して、水の豊かなヘルブルン山のふもとに田舎の別荘を建てるよう指図しました。イタリアの芸術と文化が気にいっていたので、マルクス・シチクスは、大聖堂の建設者としてすでに知られていたサンティノ・ソラリに夏の別荘を建てるよう依頼しました。それが南方風のお手本として、豪華さにおいても贅沢さにおいても何にもひけをとるものではあってはなりませんでした。そういうわけで、ザルツブルクの町の南はずれに、比較的短い間に、建築上の宝石が誕生しました。それは、こんにち、アルプル山脈の北側にあるすばらしいルネッサンスの建築物として、数え上げられます。それは、広大な庭園と世界でもユニークな噴水のある御用邸の宮殿です。

水は最初から宮殿の構成要素にあげられました。ヘルブルン山から湧き出す水源は、ほとばしりでる命の力強い存在を表しています。藪や茂みの緑の陰に曲がっていたり、思いがけないところに隠れていたりするこれらの噴水は、ほとんど400年にわたり、ヘルブルンを訪れる人々を喜ばせ、世界でも有名なものになりました。

ここでは、大司教がかつて楽しんだように、秘密にあふれ、神秘的な洞穴や水仕掛けの人形たちや、きわどい仕掛けの噴水が宮殿のありとあらゆる隅にあり、今も尚、変わらない様相で楽しむことができます。ここでお客の貴族達は、光と影、驚きと大笑いにさらされ、建築家や芸術家の想定することには、限りがありませんでした。ヘルブルンは大司教の館としては、ほとんど使われませんでした。豪華な広間を備えており、魅力的な庭園をめぐらし、ユニークな噴水を備えており、宮殿は、初めから大きなお祝い事、祭りなどの場所として、また、たっぷり騒いだり、文化行事の頂点としての場所でありました。

広大な公園は、その後1730年ごろ、宮殿庭園監査役のフランツ・アントン・ダンライターにより、新しい時代にあうように改造されました。庭園の神々と英雄の像は、17世紀初頭のものです。

ヘルブルンの自然石採掘場は、マルクス・シティクスが舞台へと改造しました。こうして、「石の劇場」は、野外劇場として誕生、ヨーロッパ最古の劇場となります。

ワルデムと呼ばれているヘルブルンの1ヶ月城は、その驚くべきほど短期間の構築期間からきています。1615年大司教マルクス・シティクスのために数ヶ月で建てられました。現在は、カロリーノ・アウグステウム美術、博物館の民族博物館となっています。ザルツブルクの民族学の歴史を現代にまで伝わる風習、習慣を通じて、また民間の信心ぶかさ、生活のなかの文化、民間に伝わる医療、またザルツブルクの地方典型の民族衣装などを垣間見ることができるようになっています。

当時の日常は、狩にでた後、ずばらしい宴会をひらき、お客をヘルブルンでくつろがせましたが、今日、学会やセミナーやすばらしい寄り集まりがあります。そしてこの宮殿が国際的な行事の開催地となったのは、今から400年も前に同じ目的で建てられたからに他ありません。
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